投資を始めた友達が、少し他人を見下すようになっていて悲しくなった話

 これは自戒も込めて書いてます。

 

 先日、結構古い友達と話す機会がありました。本当お互いに変わらないね、という話をしながらも二人ともほかの大学生があまりしてないであろう、投資という共通点を持っていました。投資対象が結構違うのもあって、投資手法の話などというよりは、なぜ投資を始めたのか、投資をする際の心構えについて話しました。私は特別どこかの団体に所属しているわけではないですが、その友人はとある団体で投資を学んでいて、その友人自身もそれなりに調子がよく、また、周りにも結構羽振りの言い方がいるようでした。

 言葉の端々からは少し感じていたのですが、その友人は自分は周りと違うことをしているということは自覚している上で、何故、他の大学生は投資をしないのか、なぜのうのうとただ時間を消費しながら暮らしているのか、疑問を持っているようでした。また、投資をしていない友人と過ごすときやはり、少し見下すような気持ちがあると言っていました。私は遠回しに投資は100%儲かるわけじゃないし、するかしないのかは人それぞれじゃないと言ったのですが、半分はどうも納得いかないような顔をしていました。

 この感覚は正直自分もめちゃくちゃよくわかります。今も初心者ですが、プログラミングを始めた当初も、投資を始めた当初も、人と違うことしてる自分すごい、努力してる自分偉い、暇な時間なんてないなんて思っていました。一時期は遊ぶのすら無駄な時間と思っていましたね。今は遊ぶのも大事だと思っています。これは、賛否両論分かれるかもしれませんね。大学生なのだから、勉強だけするのか、遊びまくるのか。私はどっちもいいと思います。遊びの割合も勉強の割合もどんなものでもいいと思います。

 例えば、私は同世代の中で勉強している人がいる中、小中高と遊ぶことに夢中になったり、ゲームに熱中したり、特に目的もなくネットサーフィンするなどのいわゆる時間の浪費をずっと行ってきました。学生の本分が勉強であるならば、私はなんてダメな学生人生を送ってきたのでしょうか。でも、今考えてみるとそれって結局無駄なことではなかったのです。勉強ばかりしていたら、今の自分はいないと思います。受験勉強にとっては無駄知識かもしれませんが、勉強してるだけでは得られないような知識を得ることだってできました。

 それらの経験が今何の役に立っているかなんてわかりません。人生は一度きりですから。人生が何度でも繰り返せるなら、「幸せ指標」を設定して、何回も条件を変えながら対照実験を行えばいいのです。しかし、便利な「幸せ指標」もありませんし、人生を繰り返すこともできません。

 ひとつ確かなことは過去のどのピースが欠けても今の自分はいないということです。何がよかったか悪かったかなんてわかりません。理由は後付けでいくらでも付けられます。だから投資しない人はしなくていいのです。したい人はすればいい。でも投資してるから偉いとか、人と違うことしてるから、偉いとか、努力してるから偉いとかそういうことはないんです。自分で思うのはいいです。自分すごい、偉いって。モチベーションにもなりますし。でも人を下に見たりするのは違うかな。したい人はすればいいと思います。それはそれで立派な一つのやり方ですから。でも、私はあまりお勧めできません。たまには普段絶対しないようなことしたり、行かないような場所行ったりするのもいいかもしれません。色んな人と話してほしいです。同じような属性の人とばかり話してても、どんどん思考が狭く深くなっていってしまうと思います。

 もちろん深めるのも大事です。でもたまには、穴から一度出てみて、違う穴を掘り始めてもいんじゃないかなと思います。私の友人にもいつかみんな違ってみんないいんだと気付いてほしいです。

 

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